鹿鳴館の姿を求めて〜江戸東京博物館〜

イギリス人の建築家ジョサイア・コンドル(Josiah Conder)が設計し、2年半の歳月と多額の建築費を投じて建てられた『鹿鳴館』とは、どんな建物だったのでしょう?

『鹿鳴館』は、昭和15年に取り壊されているので実物をみることはできません。
しかし、忠実に再現した模型なら見ることができます。

鹿鳴館の全景を見下ろす!

『鹿鳴館』の模型が見られるのは、両国にある「江戸東京博物館」!

私が「江戸東京博物館」に出かけたのは、平日の夕方。空いていて気楽に見学できました♪(「江戸ゾーン」なども含めてゆっくり見学したい方は、たっぷり時間をかけられるよう早めに入館しましょう)

めざす『鹿鳴館』の模型は、常設展示室→東京ゾーン→“文明開化東京”の展示が並ぶエリアにあります。

どこにあるかというと・・なんと、床下!!

透明な床板を通して、『鹿鳴館』の建物と庭園の全貌を上から見渡すことができるのです。おもしろい仕掛けですよね!

鹿鳴館模型全貌1

鹿鳴館はエキゾチックな2階建て洋館

さて、足下の模型をしげしげと眺めてみます。
『鹿鳴館』は、アーチ型の窓で飾られた2階建ての洋館。ベランダのアーチ型の柱がエキゾチックな雰囲気を醸し出しています。

鹿鳴館模型全貌2

建物の前には広い庭園。真ん中に大きな池が見えます。西洋風庭園というわけでもなく、かといって純日本風というわけでもない。模型だからかもしれませんが、平板な印象が……。

この模型だけを見ると『鹿鳴館』もオシャレな洋館に見えますが、「横浜開港資料館」が所蔵する実物写真を見ると、洋館と庭がマッチせず、全体的にどこかちぐはぐな印象です。ヨーロッパとイスラム風の様式が混在したうえに、どことなく日本っぽさも漂っていて、不思議な雰囲気になっちゃっているんですね。「どこかの温泉のカジノ」と酷評されたというのも、う〜ん、わかる気もする……。あくまでも写真を見たかぎりでの印象ですが。
設計者のジョサイア・コンドルは「東洋と西洋の架け橋」をめざしたそうですが、洗練された東西の融合とまではいかなかったのかな〜。それもまた、文明開化のひとつの姿という気もしますね。

鹿鳴館の動く模型が一夜の夢を再現

さて、この『鹿鳴館』の床下模型は、毎時00分、20分、40分になると建物の屋根がスライドして開きます。ライトが点き、2階の大広間で開かれている舞踏会の様子をのぞき見ることができる仕掛けです。
二頭立ての馬車が蹄の音を響かせて玄関に着くところから始まり、ドレスや燕尾服を身にまとった人々が大きな円をつくってダンスをし、談笑する様子をドラマ仕立ての再現シーンのように上から眺めることができます。

鹿鳴館模型大広間写真

鹿鳴館模型舞踏会の様子

数分の後、屋根は閉まり、建物の中のライトは消え、『鹿鳴館』は再びひっそりと息を潜めます。華やかな舞踏会が一夜の夢だったというように…。

明かりの消えた鹿鳴館模型

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「江戸東京博物館」
東京都墨田区横網1-4-1
03-3626-9974
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/
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(撮影:2007年11月)
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