華やかな一時代を築きながらも、その後、歴史の表舞台からひっそりと姿を消した『鹿鳴館』。その光と影の歴史にダブって見える、もうひとつの鹿鳴館があります。
それが、北海道夕張市鹿の谷にある『夕張鹿鳴館』(旧北炭鹿ノ谷倶楽部)。
このHPは、東京に残る明治の歴史遺産をたどるのがテーマなのですが、特別編としてこの『夕張鹿鳴館』もご紹介します。
現在『夕張鹿鳴館』と呼ばれている建物は、「北炭鹿ノ谷倶楽部」として、旧北海道炭坑汽船株式会社(北炭)が大正2年(1913年)に建てたもの。政財界の来賓の接待や社内役員の交歓の場として利用されました。
来賓として昭和天皇をはじめ皇族の方々も宿泊されたというのですから、単なる一企業の接待用施設という枠を越えていますね。ちょうど北海道炭坑汽船株式会社(北炭)の全盛期であり、いわゆる迎賓館のような役割を担っていたのです。
皇族の方々が、遠く北海道・夕張にまで足を伸ばし宿泊されるほど、かつての炭鉱産業は隆盛を誇っていたわけですね。「北炭鹿ノ谷倶楽部」が華やかな音楽とざわめきに彩られていた時代は、ちょうど北海道炭坑汽船株式会社(北炭)の全盛期でもあり、北炭の力は相当大きかったのでしょう。大正から昭和にかけて、夕張という街も石炭産業によって豊かに潤い、札幌を凌ぐほどの高い文化水準だったとか。栄枯盛衰は世の習いとはいえ、現在の夕張市の状況をみると、時の流れは残酷だなあと思います。
前置きはこのへんにして、さっそく建物の中へ。
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私が『夕張鹿鳴館』を訪れたのは2007年9月です。
敷地面積は約85,000平方メートル(札幌ドーム1.5個分)というのですから、かなりの広さですよね。美しい芝生や木々が建物のまわりを取り囲んでいます。
かつては庭やテニスコートの照明が煌煌ときらめき、住民たちの羨望のまなざしが注がれていた場所だったそうですが、そんな姿も今や幻のごとく……。
私が訪れた日はあいにくの雨で(しかも傘を持っていなかったもので)庭をゆっくり見ることができなかったのが残念です。建物の外観写真がないのも雨のせい…(笑)
建物は、延べ床面積が約1,600平方メートルの平屋の純和風建築。外からはそれほど豪華な印象はありませんが、中にはいると、贅を尽くした調度品や和洋折衷の凝った設計が見られ、さすが皇族方をお迎えしただけのことはあります。
ただ、調度品も建物そのものも、すべてひっそりとしていて、時代という埃に埋もれ行く運命を静かに目を閉じて受容しているかのようでした。
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さりげなく贅沢な調度品(↓)。会議室兼ホール、かな。
部屋の片隅には、ピアノ型の蓄音機が。(↓)
ステンドグラスの飾り窓(↓)が美しい。廊下につり下げられた楕円形の灯りも素敵でした
昭和29年(1954年)には昭和天皇・皇后両陛下も宿泊されたそうです。
その際、両陛下がお泊まりになった部屋とお隣の寝室(↓)
昭和天皇がお泊まりになったお部屋の前の縁側には、たくさんの焦げ跡のような丸い輪が……。(↓)
何かと思ったら、蚊取り線香の跡なんだとか。蚊が入っては大変!!と、お部屋の外にたくさんの蚊取り線香を置いた、その跡が残っているわけです。ずいぶんたくさん置いたんですねえ・・。
下の写真、シャンデリアの一部なんですが、細長い方のライトに注目(↓)
「電球が側面のシェードに映りこんで2つあるように見えるんですよ」と係の方がおっしゃったので、よく見ると……、あ、本当だ。覗き込む角度によって、実物と幻と2つの電球が見えました。この写真でわかるかしら? 2つに見えるところをうまく写すことができなかったのですが・・。
右上のライトのガラスシェード内側に輪郭もはっきりと見えている電球は、実は本物ではなく、映り込んだ幻。見る角度によって、幻の電球がほわっと見えるのです。幽玄という感じに……。
ちなみに、下のライトで見えているのは本物の電球。本物の電球は、白く明るく見えますよね。幻の電球との違いを比べてみて。
華やかな社交の場でもあった北炭鹿ノ谷倶楽部も、炭鉱の衰退・閉山とともに、静かに迎賓館としての役目を終えました。その後、昭和59年(1984年)に夕張市が買い取り、『夕張鹿鳴館』と名を変え、貴重な歴史建造物として一般公開されるようになったのです。
その後、1999年のNHK連続テレビ小説「すずらん」のロケにも使われ、また、2007年11月には経済産業省により「近代化産業遺産」にも認定されました。
しかし夕張市の財政では維持管理は難しく、観光グループに管理を委託するなどしましたが、2008年には閉鎖。2009年4月には、活用団体を公募中という新聞記事も出ました。
本家『鹿鳴館』と同様、取り壊しの運命なのだろうかと心配していましたが、無事に譲渡先が決まったようで、2009年9月から、一部をフレンチレストランとして営業再開しているそうです。
フレンチレストランの名前は「ミレディ Milady」。貴婦人という意味だそうです。北海道の旬の野菜や鹿肉を使ったフレンチメニューを《鹿鳴館》でいただく……。贅沢なひとときかもしれませんね。
今後はさらに、宿泊施設もオープン予定(2009年内をめざしていたが工事の遅れで2010年にずれこむらしい。09.11月現在、オープン日時等は未定)とのこと。『夕張鹿鳴館』が、かつて迎賓館のように輝いていた頃のように、たくさんの人を迎えるようになるといいなあと思います。
『夕張鹿鳴館』とは、ぴったりな名前をつけたものだと思います。
西欧諸国との外交に一時代を築いた『鹿鳴館』。遅れること30年、国の近代化・重工業化を支える石炭産業の繁栄に花咲いた『夕張鹿鳴館』(旧北炭鹿ノ谷倶楽部)──。どちらの『鹿鳴館』にも、まぶしく誇らしげな光と、その犠牲としての影があります。そして、時代の求めで誕生し、時代に翻弄され、置き去りにされたという共通点も……。
明治以降の富国強兵をめざす日本の屋台骨を支えてきた石炭産業。大正から昭和にかけての繁栄とその後の衰退・・。
時代の象徴として輝きを放った北海道・夕張にあるもうひとつの『鹿鳴館』を通して、日本の近代産業の歴史を振り返ってみるのも良いのではないでしょうか。
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【夕張鹿鳴館(旧北炭鹿ノ谷倶楽部)】
夕張市鹿の谷2丁目
0123-53-2555
http://www.yubari-rokumeikan.com/
開館時間 10:00〜18:00
入場料 大人500円、小学生300円、幼児無料
レストラン「ミレディ」
10:00〜15:00、17:00〜21:00
火曜定休
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(撮影:2007年9月)
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