鹿鳴館のシャンデリアをたずねて〜燈明寺〜その1

鹿鳴館時代から50年もの年月が流れ、時代のうねりが太平洋戦争へと突き進むなか、西洋に追従した過去を嫌悪するように解体され、歴史の表舞台からかき消された『鹿鳴館』。贅を尽くした調度品も多くは捨て去られたことでしょう。

そのなかで、貴重な『鹿鳴館』のシャンデリアが東京に残っていました。

『鹿鳴館』の大広間を照らし、舞踏会や明治の外交を見守ったシャンデリア。 そのシャンデリアがどんなものだったのか、この目で確かめに出かけました。

燈明寺(平井聖天)へ

『鹿鳴館』のシャンデリアが残されているのは、東京・江戸川区平井にある燈明寺(平井聖天)です。

“燈明”とシャンデリアという灯りつながりはあるものの、なぜ『鹿鳴館』のシャンデリアが《お寺》に?? そんな疑問も胸に抱きながら、燈明寺をめざします。
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JR総武線・平井駅北口を出て、ロータリーの脇を抜け駅前商店街をまっすぐ進み、蔵前通りを横断するとすぐに視線の先にお寺の門が見えてきます。
燈明寺です。風格のある立派な門ですね。

燈明寺の門

門をくぐると、正面の長い階段を登った先にあるのが平井聖天。

平井聖天

左手には鐘楼があり、大晦日には除夜の鐘を撞こうと地元の人たちが集まるのだとか。
そして目指す『鹿鳴館』のシャンデリアは、右手の金堂(本堂)にあります。

燈明寺金堂

事前に連絡もしていなかったのですが、「シャンデリアを見せてください」とお願いすると、快く案内してくださいました。
(※シャンデリアが見たい場合は、事前に電話した方がよいかもしれません)

『鹿鳴館』のシャンデリアとのご対面♪

案内されたのは金堂の2階。高い天井の中央に……、ありました、ありました。 明治の一時代を見守った『鹿鳴館』のシャンデリアとのご対面です!! わぉ!実物です!!!

鹿鳴館シャンデリア

このシャンデリアは、『鹿鳴館』の大広間を照らしていたメインのライトだったとのこと。この下で明治時代の日本人がダンスしていたのですね・・。

実は燈明寺で実物を見るまで、てっきり、『鹿鳴館』のシャンデリアはしまいこんだ状態で保存されていると思っていました。ところが、シャンデリアは明かりとして現役で働いていました。それも、お寺の本堂で!!

もちろん『鹿鳴館』の華やかだった頃のガス灯ではなく電灯ですが(『鹿鳴館』でも明治20年からは電灯だったようです)。
外光が差し込む昼間に伺ったので、このときは点灯されていませんでしたが、夜の行事などでは「ふつうに明かりとして点ける」のだそうです。

『鹿鳴館』のシャンデリアの下、お経が響く風景を見てみたいなあと思いました。このお寺に足を運ぶ信徒さんたちは、自分たちの頭上に灯る明かりが『鹿鳴館』のものだったとご存じなのでしょうか?

燈明寺(平井聖天)について

燈明寺は真言宗のお寺。平井聖天は関東三聖天のひとつ。
平安時代の創建と伝えられています。江戸時代は、将軍の鷹狩りの際に立ち寄る御膳所でもあったとか。明治時代は伊藤左千夫や正岡子規など文人たちも多く訪れたそうです。

平井聖天史跡案内板 燈明寺茶室説明板

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【燈明寺(平井聖天)】
東京都江戸川区平井6-17-30
03-3618-0514
JR平井駅から徒歩8分ぐらい
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  → 鹿鳴館のシャンデリアをたずねて〜燈明寺〜 その2へ続く

(撮影:2007年11月)
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